続 日本人とは何か?

これから述べることは私の主観であって学術的な裏付けや論説を証明する証拠があるわけではありません。ただ、皆さんの心の深層で感じる漠然とした憤り、不安、焦慮といった背景に映る真実への欲求の切実度に応じて自分から調べてみようと思い立つための起爆剤となればこの上ない、こう思うものです。
我々は本来は倭人と呼ばれアジア各地に散らばっていた汎アジア黄色人種の中の一種族です。倭人は中国大陸にも朝鮮半島にも沿海州にも居り、その本来の生業は海辺に生活する漁猟民でした。日本列島も2000年を遡ると現在のように融合していない状態にあり、それこそ現在のような中国人やら朝鮮人やらの区別も無く彼ら自体のアイデンティティすら曖昧でただ単純に日本列島に生活するから日本人だ、との認識しかなかったんだろうと思う。逆に民族としての意識が希薄だからこそ広範囲に分散してお互いに主張しない緩い連合体を維持していたと想像する。つまりは日本列島土着の原住民たる縄文人は縄文人のまま、かたや大陸にも同族が多数いる倭人と呼ばれる海人族は倭人のまま、この列島に幾世代も暮らしていく内に融合して全く新たな民族として天皇のもとに和合する民草となっていったのだろう。大きな騒乱が無く暫く続いた平和の後、領土欲に駆られた中国大陸での後漢から三国時代の戦乱の影響で高句麗(彼らも倭人のグループ)が強大になり好太王のもとで朝鮮半島南部まで攻め込んできた頃、日本の南九州の倭人の王が日本列島の防衛の為に漢と戦い撃退に成功する。彼は狗奴国男王と呼ばれる人物であり、のちに日本列島の諸民族をまとめる祭礼の長だった卑弥呼を排除して主権を奪取する海人族の王である。古事記に「山上王位宮」と呼ばれた彼は卑弥呼を取り替えた。新しい「卑弥呼」は登与と呼ばれた日葉酢姫、後の神功皇后である。この神功皇后が位宮の子の景行天皇の王子である仲哀天皇の妃となるのを惜しみ、これを妨害して半島において一大勢力を築く機会にと仲哀を暗殺して日葉酢姫を独立させ、南九州に「新羅」国を起こしたのが半島の倭人出身の竹内宿禰という人物。日本に戦乱があり、強大な軍隊を持つ新羅が半島に分家を置きながら日本という倭人諸民族連邦を武力で支配。戦乱は仁徳ら倭の5王時代を経ても断続し、雄略などは仁徳の子世代の末弟という系図になってるが裁判ごとにクガタチなる冷酷無残な尋問を行なっていたことから日本人土着の王家ではなく外来の自称王の可能性はある。その雄略が死ぬと子の武烈が短期間で倒され記紀には罵詈雑言書かれて新たな王には北陸の出雲系の王様である継体天皇が即位。大陸の日本府である任那は新羅や対立する分家が建てた百済に領土を浸食され徐々に日本列島との断絶が進行する。やがて三韓地域には倭人ではない濊族なるバイカル地方からなだれ込んできた凶暴なる遊牧民が増えてゆき、任那の維持も困難になる。

つまり何が言いたいかというと、新羅も百済も本国は日本であり、今の朝鮮人の祖先は倭人だけではなく濊族であり、当初は同じアジアの同胞として互いに和合するが可能な状況にあったのに途中から全てをぶち壊すような精神性を持った集団が日本と他のアジアの領域の間に割り込んできたために汎アジア共栄の道は破壊された、という事実。それでも頭山満などの汎アジア主義者は明治時期に韓国独立を目指した金玉均や中華民国独立を目指して日本に支援を求めてきた孫文をバックアップしてきた。しかし彼ら汎アジア主義者、または満州に多く渡った大陸浪人らを待っていたのは恩を仇で返す国民の手のひら返しと戦後70年過ぎても止むことのない罵声だった。それは現在目の当たりににしている慰安婦像を世界中にばら撒き喚き声を上げる慰安婦と自称する売春婦と、日本からのODA巻き上げる為に南京大虐殺をでっち上げて与太話を教科書に載せて尖閣諸島を掠め取る中国共産党軍の姿となっている。我々の祖父たちは、詰めが甘かったのだろうか?

流されし島へと漂う人を扶けよ

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