新しい運用

4月初旬に投稿してから随分と時間が空き、明らかに活動の主体ではなくなったブログについて暫し再考した。
全ての手段は目的という王様に従う家来のようなもの。同じようにこの拙稿も流島漂介なる人物が毎日何を感じ、何を考え、何を思いながら行動しているかを適切に伝え宣伝する以上の目的は無いはずだろう。私流島がこのブログという手段をうまく運用できればそれは見ず知らずの他人の意識のどこかに流島のイメージを置いてくる有効弾になりうるし、ごく僅かかもしれないがある読者にとってはまさにたった今同じような事を考えていたシンクロナイズな命中弾にもなりうるのではとも思う。しかしながら私はこの3カ月の空白の期間に私の周辺で起こってきた瑣末な事項を列挙するつもりはないし、同じ期間に日本や世界で起こっていた膨大な量の情報を列挙してこのブログの目的を支離滅裂にするつもりもない。私はただ、流島の考えている事を伝えるという目的の為にここに記述している私の時間を運用しているだけである。皆さんに共通する財産とも言える「時間」。皆さんは上手く運用しなければ幸福な人生を歩けない。今幸福じゃないからと言って過去の自分の時間を運用した事の失敗を認める勇気はあるでしょうか? 問題は今楽しくない、寂しい、いろいろと辛い、苦しい、哀しい、そういう感情の頻度が高いと幸福ではない人生を認識せざるを得ないということです。
仕事の終わりによく行くホームセンターの駐車場でいろいろと思いを巡らす時間を運用した私は「運用の範囲を広げる必要」を感じながら初夏の空を眺めていた。

写真の時期は5月。あれから猛スピードで時間は突っ走ってゆき今はもう7月半ば。6月には米朝会談、大阪北部地震、早すぎる猛暑、期待されてないにも拘らず健闘したワールドカップ日本代表、アメリカの対中国輸入関税の最大限強化、外国人単純労働者1000万人受け入れをぶち上げる自民公明、韓国日本大使館前での徴用工像設置を巡る騒動、尖閣諸島沖の領海を侵犯する中国海軍、米朝会談と同時期に竹島で軍事訓練を敢行する反日韓国、相変わらずのモリカケ国会と仕掛けられたセクハラ騒動とmee too運動、幼女虐待致死と育児放棄、突然のオウム事件容疑者の処刑、そして西日本大豪雨。
以前と違い今は完全に新聞を読まない。理由は偏向報道に嫌気さしたから。全ての事象には運用の必要がつきまとう。だが誰も必要と思わないのに「運用」されている日本の野党みたいな存在もある。誰にとって必要だろうか?要するに日本の伝統から起こる日本人気質が気にくわない、日本を破壊したい人々が役人や教職の中に多数居り、彼らが同じように日本を破壊したい同士の中国共産党な韓国民団などとズブズブの関係ということ。そういう運用を断たなければ日本には未来が訪れない。

毎日の意識は何処に目的を置いているか? 皆幸福に生きたい、それ以上の目的は無いでしょう。しかしその幸福とは個人単位の範囲で留まるものですか? それとも多数の人々の不幸を見ても何も心が痛まない、そういう種類の幸福ですか?そしていったい、幸福な社会を目指す道筋上に必ず現れる日本的な素養。これを見つめながら今年の後半も仕事に探究に努力したいと思います。

まだまだ猛暑が続きます。被災した皆さんは過酷な時期に大変な苦労を被り誠に見ていて辛い…避けられない中での被災と泥水の中での救助活動。こうして東京以下の関東には大被害が無く
このまま地方が経済破綻寸前まで行きかねないほど過疎化し、さらに東京郊外に食えない層が流出する悪循環を後押しするような災害だったと認識するのは私だけではないだろう。






流されし島へと漂う人を扶けよ

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