6月末から気温は急激に上昇し、連日朝から30度前後になるなど例年に無い暑さだ。私は汗を大量にかくので仕事中は着替えを何枚か持ち歩いているが酷い場合は1日に半袖シャツを3枚変えるほどの気温と湿度。友人に夏が好きだという人間が居るがたぶん、多数派ではないだろう。私は以前、「自分の年齢より高い気温になったら夏が嫌いになる」と言って牽制したものだが彼は40後半になっても夏が好きとほざいているのだから始末に負えない。冗談はさておき、この朝っぱらからのムシムシ感と夜中までジットリの熱帯夜の中では頭もうまく働かない。人間は常に快と不快の葛藤の狭間に揺れ動いている生き物でしかなく、であるがゆえにエアコンやら扇風機やら暖房やらを開発してきたのだろうことは容易に想像できる。日本人には私のような大汗掻きが居ると同時に顔に汗かかない人も居て、いかにもアジアの広範囲な地域からいつからか日本列島に集合し、他の地域よりは温暖で地震は多いが安定した気候の中で長い共同体生活を過ごしてきた。
今までの歴史の中で日本人のルーツが何者かを議論されてきた事は数多あり、有力な説としては縄文人と形質的に近いのは現在も太平洋の島々に散在するポリネシア系の人々。そしてミャンマーの山間部に今も生活する少数民族であるカレン族、中国雲南省に住む瑤族、古代の長江文明の民だったと思われる苗族、あるいは古代ベトナムのメコンデルタ地帯から海流に乗って沖縄諸島に漂着したボートピープル、またはインドベンガル方面からの古代仏教徒の宣布移民団などが順次的に縄文人共同体と浸透和合し、他の民族同士なら殺戮と略奪の嵐が吹き荒れるはずのところ、縄文人の性質の穏やかさと協調性が働いてさまざまな神々が土地の神と溶け込んだように人々もお互いの産物を交換しあい、次第に溶け込んだように思われるのが縄文日本。
ここまでは、さほど否定される材料は無い。問題は、日本にいかにして支配的な中央集権が出来たかという件。
暑い環境に不向きだからといって他に住む場所も無ければ諦念を働かせて適応するしかない。我慢できないからと言って狭い社会の中で周りに文句を八つ当たりされては誰だって迷惑する。そんな気持ちの未熟さを教育で事前に矯正してきたのが古くからの日本社会。そしてその日本人社会の原点が外来の人間を特別に警戒しない縄文人気質。これは16世紀の悪名高いスペインの侵略者コルテスやピサロに対して最初の邂逅の時にプエルトリコの原住民たちが示した態度に共通する。彼らはとにかく最初は客人に対して親切に歓待し、徐々に彼らの邪悪な心を読み取った後にも「もういい加減食料や女を寄越せというのはやめてくれ」と言うことを極力控え、穏便に退去を願いながら泣く泣く娘達を差し出したという話が同時代の司祭で征服者達の偽善を糾弾してきたラスカサスの著書「インディオスの破壊に関する簡潔な報告」
に記されている。
同じように古代日本人は中国の資料からは「倭国」と呼ばれていてその範囲は日本を飛び越えて朝鮮半島に及んでいた。中国の春秋戦国時代に遼東半島にあった「燕」という王国の一族が箕子朝鮮なる分国をソウル付近に建てたのが朝鮮の歴史の最初だがそれ以前から倭人は朝鮮半島に大量に住んでいて「馬韓」「辰韓」「弁韓」というそれぞれ30以上のクニを含む王国が倭人の手で運営され、日本と同じ前方後円墳が建設されていた。つまり、朝鮮半島でもすでに倭人によって灌漑稲作農業が普及していたこと。前方後円墳は用水路掘削に伴う残土の処理の最適な形であり、稲作は暦を用いた周到な準備と協力体制を要する事から倭人は集団で移住して当時荒廃地であり人跡まばらだった半島南部を開拓し、周辺民族を教化したというよりも自分らが働いて産物を収穫し、経済の基盤を作り市場を作ってお互いが幸福で豊かになるような社会を作りつつあった、という故意に無かった事とされていた歴史が偲ばれる。そして、彼らの生活を一変させるような暴力的な集団が広開土王の名のもとに半島南部に侵攻するに及んで、半島に暮らし働いて豊かになった倭人を僻む周辺の高句麗人や平壌付近に居た濊人らが便乗して倭人社会を攻撃してきた報告を受けた時の天皇の神功皇后は三韓征伐を決意する、という日本書紀にある物語に繋がっていく。(続く)
0コメント