精神の巨人たちは鎌倉時代に何を見たか

有り難く仏の話を聴く民衆。しかし民衆の学力では言葉の意味を理解できない。だから僧たちはさまざまな訓話や喩え話を話す代わりに念仏を唱えて日々の執着心を洗い落とすことを勧めた。

その当時から、人々は毎日の生活の重圧やら鬱屈を晴らすために念仏踊りをしていたのではない。念仏踊りを始めて大衆芸能と化すまで拡大したのは鎌倉時代より200年先の蓮如上人であり、それ以前の南無阿弥陀仏の定義は
親鸞上人の「たとえ悪人であろうとも阿弥陀如来の御慈悲に縋って改心するなら極楽浄土に行く道はある」と始めて救済宗教を創設した際の宣言にある。

なぜ今、鎌倉仏教とは何だったんだ、と問うのだろう? それは鎌倉仏教こそが仏教がゴータマ シッダルタによって出現する以前の堕落腐敗したバラモン支配下の古代インド社会と平安時代の藤原支配の御用宗教と化した南都諸派仏教との時空を超えて相似形だからである。

道元上人は座禅を組むことにより身魂脱却して仏の境地と一体になる事でこの世界への抑えがたい執着や煩悩を断つ実践者として知られる。だが鎌倉仏教の開祖は一番身分の高い道元(貴族階級)以下、武家の出自が多い。有名な平家物語に平敦盛を討った事で知られる熊谷次郎直実、有名な武士だったが後に出家した西行法師、浄土宗の開祖の法然上人、そして親鸞。

人間が生きて生病老死の四大苦を味わう運命をいかに消化してゆくべきか、という普遍的命題を前にして古の精神の巨人たちは日々おのれを磨き、格闘してきた。それは、現代に生きる我々にあっても変わらない、いずれ超えねばならない山なのだ。それをいかに辛気臭いと茶化そうと、生病老死の訪れが変わらない限り人類は心を悩まさずにはいられない。だからこそ言おう、

答えが見つかった時に感じる喜びは計り知れない、と。















人間としてこの世に生を享け、秩序と分別を自覚して周囲の人々に迷惑かけることない範囲内で自由に行動する。この当たり前に思われる当然の前提が確立されてなかったのが江戸時代以前の中世社会と言われてきた。本当は中世とは各地で様々な社会形態があって概論を述べにくいテーマなのだが確かに世界的に現代ほど人権が明確に意識されておらず、各地でその地域の王侯貴族などの支配階級が自分たちの勝手な掟を定めて人々を制御していた。その中世、宗教的な概念としての神や仏の存在を議論する愚かさを認識して言葉だけの人生ではなく実践の人生にシフトしていった賢者達が日本人にも存在した。曹洞宗を拓いた道元禅師を筆頭とする鎌倉仏教の時代、それ以前の幾世代に渡り貴族階級の子弟のみが高い地位を約束される門跡制度、藤原氏の御用宗教と化した東大寺や比叡山延暦寺のような巨大仏教の欺瞞を見てきた民衆から支持される新しい形の仏教が爆発的に広まってゆく。日本人の特徴であるみんな一緒のレベルまで文化を爛熟させる期間を過ごしたのちの鎌倉時代、どうも民衆レベルでの「日本人」は歴史上初めて登場したように思われる。

流されし島へと漂う人を扶けよ

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